OHENROBACH
[お遍路バッハについて]
立ち上げの思い
『お遍路バッハ』、それは友人との何気ない会話から始まりました。
「ピアノで何がやりたいの?」と聞かれ、ヨーロッパ留学を終え帰国したものの、この先の目標を失い悩んでいた私は、正直返答に困ってしまいました。まだ何も決めていないことを伝えようと顔をあげた瞬間、口からするりと出てきたのは『お遍路バッハ』という言葉でした。
「お遍路八十八カ所、ピアノの鍵盤も八十八鍵。漢字を見ているとバッハって書いてあるみたいじゃない? 遍路をしながらピアノ弾こっかな。」
元々バッハは好きで得意としていたものの、信仰心といえば初詣に行く程度で、四国遍路のことも88カ所のお寺を廻ることとしか知らなかった私が、なぜ突拍子もなくこんなことを言ったのかわかりません。ただ、自分の発した『お遍路バッハ』という言葉が妙に心に残り、日を追うに連れ、どんどん自分の気持ちがそこへ向かっていったのを覚えています。
そうだ、古から、人々が祈りをこめて諸国のお寺や聖地を廻っていたように、神や仏、ご縁のあった方々へ感謝の祈りを込めて、バッハの音楽88曲、ピアノの演奏と共に巡って行こう。そう決めた後でしたが、母方の祖父母の出身地が愛媛県西予市明浜町にあると知らされ、四国(愛媛県)との縁があることに驚き、同時にとても嬉しく思いました。
試行錯誤しながら準備を進めていた中、2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。当時、神奈川県の横浜市に住んでいた私は、東京へ向かう電車の中でこの地震に遭遇しました。電車が小さな橋に差し掛かったところで緊急停車し、ほどなくして立っていられないほど左右に激しく揺さぶられました。顔を上げるとコンクリートの橋が粘土で作った物の様にぐにゃぐにゃと曲がり、立体駐車場の車がジャンプしている様子が目に飛び込んできました。大変なことが起こっている…、その状況を理解するのと同時に、恐怖が全身を包んでいく感覚に陥りました。
そして、東北を襲った津波。
震災直後、音楽家として被災地にできることを探し始めましたが、最初に必要とされたのは物質的な援助でした。我々音楽家は本当に必要なのだろうか。無力感と喪失感で消え入りそうな気持ちを奮い立たせ、音楽家として何ができるのか模索を続けました。
しばらくして聞こえてきたのが、震災でご家族やご友人を亡くされた方の言葉でした。
「悲しく辛いが、まわりはみな同じ経験をしているから、自分だけが言葉にすることはできない。」
私の心は『お遍路バッハ』に立ち戻りました。
音楽は人々の祈りを乗せて神に捧げるために生まれたもの。
少しでも言葉にできない気持ちを解放し救済するお手伝いができるのなら、その方々の思いを音楽に乗せて天に届ける仲介人になろう。バッハの音楽に乗せて、亡くなられた人や神や仏、届けたいところへその思いを運んで行こう。
まずはそのための修行として、四国霊場八十八カ所に88曲のバッハの音楽を納めて廻ると決めました。仏様に東北への鎮魂の祈りと、この活動に取り組む決意を伝えよう。廻り終えたその後は、奉納曲と共に全国へこの活動を広げていこう。
こうして『お遍路バッハ』の歩みは始まりました。
東北をはじめ、ひとりでも多くの方へ、この『お遍路バッハ』の音楽が届くよう、心に寄り添い歩んでいく、この思いを胸に役割を全うできればと日々願っております。
~お遍路とは~
約1200年前に弘法大師空海が修行した四国にある八十八カ所の霊場をたどる巡礼のこと。その道程は約1400キロあり、札所の順番通りに廻ることを「順打ち」、歩いて廻ることを「歩き遍路」といいます。
~お遍路バッハとは~
順打ち歩き遍路で四国霊場八十八カ所を廻り、各札所に奉納演奏した88曲のバッハの音楽に乗せ、言葉にできない思いを天に届ける活動です。天への仲介人として、奉納曲と共に全国にてコンサート活動を行っています。
~バッハの音楽とお遍路~
音楽は、神に祈り捧げるための媒体の役割として誕生しました。
特にバッハは多くの教会音楽を残し、「祈りの気持ち」に一番近い作曲家と言われています。彼は、一音一音を神に祈りながら作曲したとも言われ、今でも、人々はバッハの音楽と共に祈りを捧げています。その「祈りの気持ち」は、遍路を巡る人々の「祈りの気持ち」と共通すると思います。
遍路は亡くなった人のための供養の祈り、自分の内なる声に問いかけ続ける祈り、救いを求める祈り…、それらの気持ちに寄り添い答えてくれるものだと考えます。まさに、私がめざす音楽の役割と通ずるものです。
軌跡
■第1章 始動と東日本大震災/2009年~2013年
『お遍路バッハ』への思いを胸に準備をすすめていたところ、東日本大震災が発生。震災後に四国霊場第43番札所「明石寺」(愛媛県)より活動を開始。
■第2章 順打ち歩き遍路/2016年~2018年
四国霊場第1番札所「霊山寺」(徳島県)を出発し、約2年3カ月を経て、第88番札所「大窪寺」(香川県)にて結願。真言密教の総本山「高野山」(和歌山県)へお礼参りにて完了。
■第3章 お砂踏みコンサート/2017年~2018年
奉納演奏した曲と遍路での体験を映像で紹介する「お砂踏みコンサート」を、愛媛県松山市のスタジオOWLにて計6回開催。
■第4章 全国行脚 2019年~
世界文化遺産「中尊寺」(岩手県)より活動スタート。
~新たなステージへ~
お陰様で、四国霊場八十八カ所を無事に歩き終えることができました。
愛媛県西予市でスタートし、そのころからずっと応援し続けてくださる皆様をはじめ、四国各地でピアノを貸してくださった皆様、様々な形でサポートをしてくださった皆様や企業様に、心よりのお礼を申し上げます。
活動当初は、「ピアノは持ち運びができる楽器ではないから無理だよ」「音楽で救済なんてできるとは思わない」などと、多くの方にご心配や反対意見を賜りました。
確かに、演奏場所については、ピアノのあるお寺は数えるくらいしか無いし、どうしようと不安もありました。「救済」についても、ただのエゴかもしれないし、そんな不確かなものにどんな意味があるのかわかりませんでした。
それでもやってみたかった、信じてみたかった。自身の目でその先の風景を見てみたかったのです。
最初は札所近くで、道行く人にピアノが弾ける場所はないか聞いてまわりました。
見ず知らずの遍路が、変なことを言っていると思われないかといつも恐かったです。
しかしありがたいことに、尋ねた四国の方々は、すぐにピアノをお持ちの方を紹介してくださったり、学校や幼稚園に声をかけてくれました。そして歩き続けているうちに、いつしか応援してくださる方々が、ピアノをご用意して待っていてくださるようになりました。
こんなにもたくさんの人が、見ず知らずの私を応援し助けてくれ、東北を思い一緒に祈りを捧げてくれる。
遍路中は、意識が朦朧としたり、歩きすぎて股関節が動かなくなったり、説明の付かない不思議な何かに導かれたり、想定外の出来事もたくさん起こりました。
それでも、最初からずっと変わらなかったことは、その土地で出会った方々の優しさです。
一人ではないということを、目に見える存在、見えない存在というのは関係なく、いつも誰かに支えられているということに、本当の意味で気付かせていただきました。
人の心に寄り添うとはどういうことなのか、遍路前とは違うもっと繊細で奥深いところで感じ取れるようになったように思います。
遍路を終え『お遍路バッハ』の意味合いに揺らぎはありませんが、少し変わったことがあります。
奉納した音楽で思いを届けるのではなく、聴いてくださるその人の思いが、音楽に乗って行きたいところへ行くのだろうと。
これからの『お遍路バッハ』は、そんな時間を共有する媒体としての役割を担っていくものなのだと考えるようになりました。
今後は、奉納曲と共に、さらに全国へと演奏してまいります。
新たなステージの『お遍路バッハ』も、引き続き応援してくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
MOVIE
演奏曲目(J.Sバッハ)
・半音階的幻想曲とフーガより 幻想曲
・ゴルトベルク変奏曲 アリア
2017年1月27日「お遍路バッハ」上尾直子お砂踏みコンサートvol.1(愛媛県松山市 スタジオOWL)より
私たちは[お遍路バッハ]を応援しています
愛媛銀行/株式会社e-KC/ドコママ愛媛 サンサンファミリー/cross eight/
中岡淳子税理士事務所/A.Iコーポレーション/星企画株式会社